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【黒】#13  第一話:『父は嘆く』

「ふざけるな、そんな決定なんかクソくらえだ!」

 村長が下した決定に、僕は怒鳴り声をあげた。
 妻と結婚して既に三年。
 もともと身体の弱かった彼女は、医者に子供を生めば命が危ないと言われていた。
 けれど、それでも僕らは子供が欲しいと願い、そしてやっと念願だった子供を授かった。

「そんなカビの生えた迷信など、僕は信じない!」

 十歳で両親が死に、追われる様に村を出た。
 街に出てボクシングジムに通う傍ら、叔父の商店を手伝う日々。
 けれど片時も故郷のことを忘れたことはない。
 だからその街で出会った彼女と故郷の話をした時は、互いに笑ってしまったものだった。
 なんだ、村が隣同士じゃないか、と。
 そんな彼女だから、伯父に一人前と認められて村にある支店を任され、一緒に村に帰ってきた彼女は簡単に村の生活に溶け込んだ。

「生まれてきた子供を殺すというのなら、まず僕を殺してからにしろ!!」

 無意識に構える。
 自慢じゃないが、これでも去年まではライト級プロボクサーだった。特に動体視力には自信がある。
 引退の理由も町を離れたから。
 トレーニングを欠かしていないこの拳なら、素人の一人や二人、簡単に殴り殺せる。

「どうした、来ないのか!」

「――――ッ」

 彼も、僕のパンチの威力は知っているようで、苦虫を噛み潰したように押し黙る。
 そういえば、この村で商店を始めて、子供の頃は気付かなかったことに気がついた。
 村には他所の村から嫁いできた女性がとても少ないのだ。
 森に囲まれて半ば孤立した村だから当然かも知れないが、それにしても、だ。
 その原因は、あるひとつの教えにあるらしい。

 『他所の村から嫁いできた女が、母になってはならない』

 僕はその教えを、馬鹿馬鹿しいと一蹴する。
 もちろんこの村に生まれた者なら誰だって、その由来となった古い迷信を知っている。
 けど電気が通り、テレビとパソコンが世界中の情報を手元にもたらす様になった現代で、いつまでそんな迷信に拘っているのだろうか。
 現に今年で五歳になる隣の家の女の子は、他の村どころか他の国の女性を母にもつのに、ちゃんと育っているじゃないか。
 昨日だって、照りつける夏の日差しの下で、元気に走り回っていた。

「村長も、神父様も。
 あんたたちは、いったい何時まで吸血鬼に脅えているんだ!」

 かつて兄のように慕っていた男を一喝する。
 子供の頃は逞しくて生き生きしていた彼も、鬱屈した村の生活を繰り返すうちに磨耗したのだろうか?
 彼に、昔の面影はあまりない。

「リヴェル、どうなっても知らないぞ」

 そう注げた彼の声は、どこか脅えのような色を含んでいた。
 彼は僕の怒号に憎しみの視線を返し、くるりと背中を向ける。
 真円を描く月に照らされた彼の背中が、やけにはっきり見えた。

「あなた……」

「心配するな。大丈夫さ」

 台所に戻った僕を、不安に表情を曇らせた妻が出迎える。
 こんなやり取りを毎晩繰り返してもう一週間になる。だがそれも今夜まで。
 なぜなら村長が告げた期限が今夜だから。
 おそらく明日になれば、村長と教会は何らかの強行手段に出るだろう。

「もういい、この村を出よう」

 だからこそ、急がなければならない。
 結局、夢は夢でしかなかったんだ。
 元々、儲けはほとんどなかった。それでも営業を続けていたのは、村の為に働きたかったからなのに。
 村の人たちだって良くしてくれていたのに、子供が生まれた途端に掌を返すなんて。

「でも、この村にはあの子のふたりの弟も眠ってるのに」

「……それも大事だけど、このままこの村に居たら、あの子も危ないかもしれない」

 初めて授かった僕たちの宝物は、隣の部屋のベッドですやすやと眠っている。

「あの子の為にも、僕たちが出会った町に帰ろう。
 喜びも悲しみも全部、三人分。
 三人分の命を持つこの子には、他の人の三倍、幸せになって貰わなくっちゃ」









 ――― #13 ―――
 第一話:『父は嘆く』










「あなた、起きて!」

 深夜、妻の悲壮な声で目が覚めた。
 まいったな、予想以上に酒がまわっていたらしい。
 居間のソファーでうたた寝をしてしまうなんて――――

「火事よ、家が燃えているの!」

「なっ――――」

 その一言で、眠気や酔いがどこか吹っ飛んだ。
 驚いて窓の外を見れば、そこには燃え盛る炎がある。
 けれど何か不自然だ。
 こんなうだるように暑い夜に火を焚く奴はいない。
 台所は反対側だから、あっちに火の気なんかない筈だ。

「まさか、そこまでやるのか……」

 ギリ、と奥歯を噛む。
 窓枠ギリギリの位置に見える小麦色。
 あの窓の外には、たぶん藁かなにかが詰まれている。そしてそれに誰かが火をつけたんだ。
 僕らもろとも、この子を焼き殺す為に。

「逃げよう。もうこの家も安全じゃない!」

 幸いなのか、火の手はそう強くない。
 どうやら火をつけられてからそう時間がたっていないようだ。
 本当に必要なものだけを鞄に詰めて、丈夫な靴を履く。妻も子供を抱きかかえてそれに続いた。
 伝説を妄信する村の住人に見つかれば、この子の命はない。
 だから出るのは、裏の森に続く勝手口から。

「いくよ!」

 靴を履いたまま家を横切り、台所にある勝手口を開く。
 目の前に昼がるのは、月明かりに照らされた幻想的な森の木々。
 その中を、妻の手を引いて駆け抜ける。
 けれどその行為は、結果的に無意味に終わった。




 / / / / / / / / /




「えっと、こんばんは―――じゃない。はじめまして。
 私は聖堂教会、ヴェステル弦楯騎士団の団長を務めるリーズバイフェ・ストリンドヴァリ。
 君はリヴェル・レイドリッヒであってるかな?」

 囲まれた、そう思ったときにはもう終わっていたんだろう。
 周囲を黒いジャケットに同色のズボン、腰に純白のマントを纏った者たちが囲んでいた。

「お前たちは、何者だ?」

「教会の異端審問官、といえば解ってもらえるかな? ああ、映画とかで有名なエクソシストの同業者だよ。

「異端、審問官?
 そんなのがいったい何の用だ?」

 異端審問官。時代錯誤な名詞に目眩がする。
 いかにも怪しい肩書き。
 けれど彼女たちの気迫と存在感が、それを笑い飛ばす事を赦さない。
 だが僕たちを囲んでいる者たちは、みな一様にジャケットの内に白銀の鎧を纏い、手と足をメタルグローブとメタルブーツで固めている。
 その様はまるで騎士。20世紀の現代にはおおよそそぐわない―――――女性たちだった。

 まぁ、それが普通だね。
 じゃあ私は面倒ごとが嫌いだから単刀直入に言おう。リヴェル、その子をこちらに渡すんだ。
 私たちはただ確かめたいだけ。
 その子が祝福されるべき子なら、すぐに返すから」

 そう言って一歩、彼女は前にでる。
 恐らくはリーダーと思われるリーズバイフェという若い女性。
 白い髪をポニーテールに纏めた少年のような女が僕と妻の道を塞いでいた。
 悪ふざけには、到底見えない。

「うん、まあ言っても信じられないか。
 だが事実なんだ。
 この村の伝承に基づき、今夜この地に異端が出現する。私たちはそれを抹消しにきた」

 リーズバイフェがゆっくりと右手を上げる。
 すると周囲の全員が武器を取りだした。
 ある者は十字架のような細い剣を両手の指に挟み、ある物は身長を超えるような槍を持っている。
 魂が冷える様な刃の冴え。
 右後ろにいる少女は熊撃ち用のショットガンまで持ち出して来た。そのどれもが地面を向いて、僕や妻のほうは向いていないけれど――――

「これは、脅しですか」

 僕の背後に居る女性の手には、オートマチック式の拳銃が一丁。
 女性に年齢のことは、などとこの場ではどうでもいいコトを考えつつ彼女の年を測る。
 眉の上で切り揃えられ、背中側は腰まで伸びた黄金の髪と鋭利な瞳。年齢は25,6歳くらいだろうか。
 美人は総じて若く見えるから、案外それ以上かもしれない。

 そして目の前のリーズバイフェの瞳には、微塵の油断も無い。
 ボクサーの直感が、勝てないと語る。もちろんとても逃げられるような雰囲気じゃない。
 どこかおっとりとした雰囲気なのに、僕はこの中の誰よりもあのリーズバイフェという女性が恐い。
 僕がジャブを撃つよりも早く、彼女の拳が僕の額を撃ち抜くという確信があった。

「うん、まあ。そうかな。
 いや別にリヴェルさんに何かする気はないから。ただ、確認だけはさせてもらう。
 リュオ、赤ん坊を受け取ってこっちへ連れてきて。
 それとリオネイラさんはシオン・エルトナム・アトラシアに連絡をお願いします」

「わかりました」

「了解した」

 彼女がそう命じると、真後ろにいた女性は懐からトランシーバーを取り出してどこかにいる仲間と連絡をとる。
 その様子からして、彼女がリオネイラなのだろう。
 またそのリオネイラと同じく返事をした若い女性が、僕たちに歩み寄ってきた。

「く、来るな!」

 僕はハッとしてリュオと呼ばれた女性の前に立ち、進路を遮る。
 この子は、僕たちにとって掛け替えの無い宝物なんだ。何かあろうとも絶対に渡すものか。

「困ります。さきほど団長がおっしゃったように、私たちの目的は確認することです」

「なら、なんでこんな物々しい武装をしているんだ!」

「それは――――」

 女性が言葉に詰まった。
 やっぱりか、本当の目的は何だ! そう怒鳴ろうとした時、僕の質問にリーズバイフェが代わりに口を開く。

「それは、この一件がそれほど重大なものだから、かな。
 そもそもたった一体の吸血鬼を討伐するために、教会が騎士団をまるまる一個派遣するなんてありえないんだ。
 なのにそうするのは、その子が世界でもトップクラスの吸血鬼に成る可能性が有るから――――いや、既に『成って』いる、と思う。
 確信はないけれど、その赤ん坊は雑音が酷すぎる」

 ガシャ、と機械をセットする音が聞こえた。
 見ると、リーズバイフェが武器を取り出している。
 それはチェロの形をして、裏に杭撃ち機を取り付けたような奇妙で巨大な盾だった。

「いい加減にしろよ、お前たち。
 ズェピアがいったい何をしたって言うんだ!!」

 歯を食い縛り、騎士たちを睨みつける。
 それが効いたのか、リュオという女性は見るからに動揺しだした。

「い、いま、お子さんの名前を何て言いました?」

「ズェピアだ。それがどうかしたのか!?」

 聞いた瞬間、彼女は慌てた声で後ろを振り向き、叫ぶ。

「リヴァル、落ち着いて聞いて。 君は何も悪くない。
 けど君がその子につけた『ズェピア』という名は、その基と成った吸血鬼の名前なんだ。
 だから“吸血鬼に成る”という噂で括られ、『ズェピア』と名づけられたその子は、恐らく二十七祖まで登り詰めたズェピア・エルトナム・オベローンの再来と成る」

 リーズバイフェの宣告にも似た言葉を聞いた瞬間、途轍もない威圧感が、僕たちを打った。
 それに気を取られた一瞬の内に、リュオが僕の横をすり抜け、妻の前に立っている。

「気をつけて、赤ん坊とはいえ油断は――――避けろ、リュオ!!」

「―――ッ、が……」

 リーズバイフェが叫ぶ。
 慌てて振り返り目を見開いた。その光景が、信じられなかった。
 まだ赤ん坊で、まともに動くこともできないはずのあの子が妻の腕の中で俊敏に動き、右手を突き出す。
 その指の爪がまるで槍のように伸びて、リュオの首を貫いていた。

「ひっ―――あ……」

 妻が、そのあまりの出来事に悲鳴をあげかけ、次の瞬間にはあの子に首筋を噛み切られた。
 一切歯の生えてなかった筈のあの子の口には鋭い乱杭歯が並んでいて、それが妻の血で真っ赤に染まっている。
 妻の血が飛沫となって、周囲の地面を赤く染めた。

「う、うわぁぁーーーっ!!」

 何もかも訳が解らなくなった。
 妻の身体が真っ赤に染まり、彼女を染め上げたのは僕たちの子供だった。

 ありえない
 ありえない
 ありえない

 あの古い迷信が真実だなんてありえない。
 妻が死んだなんてありえない。
 あの子が、吸血鬼だなんてありえない!

「ああああぁぁぁぁーーー!!」

 膝から崩れ落ちる妻を抱きとめようと走り寄る。
 その僕に向かって、鋭い爪が伸ばされる。
 回避は不可能。カウンターなんて論外。ああ、死んだ。

「この、下がって!」

 ハッキリと自分の死を見た僕を、誰かが後ろに思い切り引っ張った。
 同時に、目の前を覆う巨大な盾とそれを持つ人影。刹那遅れて聞こえる、甲高い金属音。

「無事だね、じゃあ立って。
 奥さんは残念だけどもう死んでいる。だから君だけでも逃げろ。
 ボクシングで欧州王者になった君の足なら、出来るだろう?」

 リーズバイフェの視線は、そう言いながらも目の前の光景を粒さに見つめている。
 リオネイラという女性がヴァイオリンのような盾を構え、現役時代の僕を遥かに超える速度で踏み込んだ。
 ハンドガンは近接武器。
 それを体現するかのような動きで銃を突きだす。

「シッッ!!」

 直後、短い破裂音とともに銃口から吐き出されたそれを、あの子は跳躍して躱した。
 信じられない高さ、その事に震える。
 自身の数倍など、人間に到達できる高さじゃない。

「ハッ――――」

 だが、リオネイラはそれに追い縋る。
 ゼロ距離射撃が躱されたと見るや、膝を沈めて一息に飛び上がった。
 そして突きだされる、ヴァイオリン型の盾の先端に取り付けられた銀の杭が、天を貫くかのように上空のズェピアを狙う。

「甘いよ……」

 不意に、なんだか聞き覚えのあるような声が聞こえた。
 驚きで目を見開いた。
 それは妻とよく似た声。
 位置からして、その声は紛れも鳴くズェピアの喉から発せられていた。

 たった数分前までは普通の子供だったあの子は、もう化け物だった。
 目の前で繰り広げられる異世界に視界が揺れる。
 あの子は、異常な早さで成長を始めていた。

 あの子が一息に右手を振り抜き、リオネイラの突き出した盾をはじき返す。
 さらにそのままの勢いで身体を横に回転させ、左の爪でをバランスの崩れた彼女の身体を捉えた。

「――――がっ!!」

 ドン、と地面が揺れた。
 爪撃についで落された踵蹴りで地面に対して垂直に叩き落されたリオネイラは地面と、正確にはそこに横たわっていた妻の遺骸と激突し、くぐもった声を上げる。
 飛散する血液。衝撃で弾む彼女の身体。
 ヘビー級の右ストレートなど軽く馮河したそれは、バケモノと呼ぶに相応しい膂力が生み出す結果だった。

「バッドニュース……」

 未だ空中にあるあの子の口から紡がれる言霊に息を呑む。
 全身に奔った寒気は、決して勘違いなどではない。
 振り上げられた右腕へと、とてつもなく嫌な『何か』が収束していくのを肌で感じる。
 同時に誰かが「逃げろ!」と叫んだ。その眼が、眼下の獲物を正確に捉えていたから。

「ライ!」

 声と同時に、黒い霧が巨大な爪となって地面を抉った。
 土煙が舞い、血飛沫が舞う。
 そこに在った妻の遺骸は寸断され飛び散った。

「く……」

 甘いとは知りつつ、思わず目を背けた。
 妻の惨状を見れば解る。そこに在った命が、どうなったのかくらい。
 だがその予想に反し、横間から飛び込んだ別の女性によってリオネイラは間一髪のところで救出されたようで、代わりに割って入った女性の腰布がボロボロになっていた。

「ああぁぁーーっ!」

 同時に響く、裂帛の気合い。
 目の前にいたリーズバイフェが、その巨大な盾を持ったまま疾駆し、落下してくるあの子の下に潜り込んだ。
 そこから抉るように盾が半月を描き、上方へと打ちあがる。
 盾の先に設けられた薄青の杭が、スマッシュにも似た軌道であの子に迫る。

「あははっ!」

「ヤッ!」

 だかそれも弾かれ、ほぼ同時に着地した両者は地上での攻防に移る。
 リーズバイフェの強力な中段突きを、あの子は間一髪で避けると、お返しとばかりに空に向かってあの嫌な何かを纏う爪を振り上げる。
 だがそれを彼女は素早く巨大な盾で受け、間髪入れずに攻撃を返す。

 どうやら、間違っていたのは僕の方らしい。
 とても人間には到達できない? 大きな間違いだ。
 世界は広く、物語の中にしか居ないような怪物が居て、その怪物に立ち向かうことの出来る怪物のような人間もいるらしい。

 どちらの攻撃も、遠目でなければとても眼で追えない。
 その攻撃はかつて見たフライ王者の数倍は早く、ヘビー級チャンピオンの数倍は重い。
 僕など、足下にも及ばない。

「今だ、やれ!」

 月夜の森に、リーズバイフェの声が轟く。
 苛烈な攻めを見せていた彼女が、一転して後ろへと跳んだ直後、あの子を包囲した他の面々が構える武器が一斉に火を噴く。
 ざっと見ただけでも、20人以上女性が持つ武器があの子に殺到する。だが、それでも――――

「く―――、逃げられた」

 杭の先をあの子に向けていたリーズバイフェが苦々しく呟いた。
 見れば地面にあの子の姿はなく、破壊の衝撃で盛大に抉られた地面だけがある。

「あの一瞬で黒い霧に転じて、攻撃をすり抜けるなんて……」

 驚きとも悔しさともとれる言葉を漏らし、彼女が僕のほうに向き直った。

「それで、ああ、無事みたいだね。立てるかな?」

 そう言われて初めて、自分は腰を抜かして地面にへたり込んでいたことに気付いた。
 慌てて立ち上がろうとするが、膝が笑って力が入らない。

「あぁ、いいよ。無理をするな。誰か支えてあげて」

「了解しました。
 大丈夫ですか? リヴェルさん」

 そう言って右腕を差し伸べてくれたのは、驚いたことに先ほど地面に叩きつけられたはずのリオネイラだった。

「あ、あんた、大丈夫なのか?」

「ええ、きちんと鎧を着ていますからね。
 あれくらいなら大丈夫です」

 そう言って、リオネイラはにっこりと笑った。
 穏やかな、暖かささえ感じる笑顔なのに、何故だか背筋が冷える。

「さぁ、しっかりしましょう、か!」

 途端に緊張の糸が切れ、崩れそうになった僕を、リオネイラがぐいと引き起こした。

「すいません、迷惑をかけて」

「いいえ、困っている方に手を差し伸べるのが我々の役割ですから、お気になさらずに」

 そして僕の腰のベルトを掴み、強引に立たせた直後、不意に彼女の胸元でアラーム音が響いた。
 すぐに胸元から音源のトランシーバーを取り出し、応える。
 そのうちに、みるみるその顔が強張っていった。

「団長!」

「解っている、こっちにも連絡が来た。
 リードレインはリュオを連れて本拠地まで下がりなさい。リヴェルさんはこのまま直ちに村から去ること。
 残るメンバーは3人一組で村へ急いで。
 いいか、敵は二十七祖の『タタリ』だ。くれぐれも油断するな。散開!!」

 リーズバイフェが切迫した様子で指示を飛ばすと、騎士たちは一斉に村に向かって駆け出す。
 その動きはよく訓練された軍隊を彷彿とさせた。

「リオネイラさん、あの子は、やはり吸血鬼なのですか?」

「ええ、残念ですが、貴方が見た通りです。
 気の毒だけど、一度吸血鬼になったらもう人間には“戻らない”
 だから、今は自分が生き残ることだけを考なさい」

 そう言って、彼女は血まみれになった地面を見る。

「いいですか? 理解できなくてもいいので、よく聞いて下さい。
 あの吸血鬼は通称、『ワラキアの夜』と呼ばれる恐ろしく凶悪な存在です。
 奴は自身の身体を捨て、現象となって現世に残った存在であり、特定のコミュニティに存在する『噂』を具現化する。
 貴方の子供は、その寄代に選ばれてしまったのです」

 そう、彼女は淡々と説明した。
 殆どどころか、全く理解できない。
 吸血鬼? ナンだよ、ソレ。
 だがその中で、ひとつだけ気になることがある。

「その噂と言うのは、
 『他所の村から嫁いてきた女が三ツ子を孕み、そのうち二人が死産だど残るひとりが吸血鬼と成る』というやつですか?」

「はい」

「そんな、信じられない。てっきり迷信とばかり」

「いいえ、迷信は迷信ですよ。
 けど今回、『ワラキアの夜』はその迷信を現実に 置き換えた。
 だから奴が余計なことをしなければ、何も起こらなかったのです」

 そう言って、彼女は懐にあった煙草を取り出し、火をつけた。
 甘い、イチゴのようなチョコレートのような香りが辺りを満たす。

「吸いますか?」

「いえ……」

 恐らく、それは彼女なりの気遣いだったのだろう。
 甘い煙の中で、煙草の吸えない僕は代わりに大きく深呼吸して気持ちを落ちるかせる。
 絶望が、胸を支配した。
 迷信と鼻で嗤っていたものに逆襲され、僕は妻と子を失ったのだ。

「申し訳ありません。
 もう少し早く気付いていたら、少なくとも奥さんは救えたでしょう」

 ぼそり、とリオネイラの口から零れた言葉。

「いえ、いいのです。貴女たちが悪いんじゃない」

「……ありがとう」

 卑怯だ。
 こんなにも僕の妻と子供のことを悼んでくれる人を、責められるわけがないじゃないか。

「リヴェルさん、この村はこれから戦場になります。
 このまま大急ぎで山を越えれば、日付か変わる前に村の境を越えられるでしょう。
 せめて貴方だけでも、生き残って下さい」

 そう言って、リオネイラさんはリーズバイフェさんと共に、僕を残して森に消えた。
 陸上競技のスプリンターも真っ青の速度で走り去った彼女らを、僕は追うことも出来ずに立ち尽くした。


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コメント

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投稿: Iphone 5 | 2011.09.16 20:19

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